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2010
   
    2010年12月16日
10マイルの回航
   
 
   

12月18日、フィンセール回航。

回航といっても非常に距離が短く、西宮ボートパークから、神戸カルモマリーナまでの僅か10マイルの距離。
それでも6ノット平均で桟橋から桟橋まで2時間30分が必要。

12月中旬であるが、比較的穏やかな回航。

波高も50センチがマックス。風は回航時のおきまりで、行きたい方向から風が吹き付けてくる、なぜか???

で、セールをアップすることなく、イスズディーゼル40hpでコトコトの旅。

風は時折10メートルを超え、波も真正面から・・・
スプレイがパシャーっと上がるがハル形状のお陰でデッキには来ない。
その上、ハードドジャーに隠れれば冬でもOK。

神戸空港南を通過し、苅藻に進路をとる。

白い灯台からアプローチし着岸。

冬はハードドジャーに限ります!



 
     
    2010年12月16日
NISSAN30。
   
   
12月16日、西宮沖は早朝から風速8メートルを超えていた。

ちょっとイヤな予感〜
と、いうのもこの日、ニッサン30の試乗のお伴。

一応、セーリングの用意をクルマのトランクに隠してマリーナに出かけた。

Interpreterさんはいるもののフランス人とアメリカ人の二人連れ。

桟橋に立っているだけでも寒い寒い〜
で、どっちかと云えば、陸上待機で桟橋までお見送りに・・・
が、しかし、結局乗って行け!で、全員を待たせ、急遽いつもの真冬用のセーリングウェアを着込み、仕方なくデッキ上へ・・・

1GMがコンコンと始動し港内でメイン、ジブ共にセールアップ。
レギュラージブにフルメイン。

とたんにオーバーヒール・・・
いつもの橋をくぐり新西宮YHの沖を一周。

時々、ガンネルまでヒールする、メインシート近くに座っていたものだから突然のメイントリマーとしてコントロールするハメに・・・

時々、メインを出さずに艇のポテンシャルを試してみるが、これがなかなかの優れもので国産他社製と比較してもかなりのモノ。

ウェザーヘルムも大きくなく、建造当時は出来の良い艇だったのではと、その片鱗を伺わせていた。

しかし・・・デッキ上はほとんどがフランス語と少しの英語。
まぁ、なんとかなるもんです。

年間に何度あるかのダイナミックセーリング中

 
     
    2010年12月11日
ヤマハ33のブルーパー。
     
   
 
    左画像はブルーパーの帆走
   
     
この「B」はBLOOPERの頭文字。
ヤマハ33のキャビンで発見!
  KAWASHIMA MARINEの
セールバッグも同時に発見!
   
   

12月11日、時折強い雨が降る中、今年で建造後31年を迎える「ヤマハ33」の見学に向かった。

往年のクルーザーレーサータイプのIOR艇である。

まぁ、この頃の時代のヨットは純粋なクルージング艇で無い限り、ほとんどのヨットはどんなカタチのレースといえ、レースに参加する目的で建造されていた。

当時はヨット熱も盛んで、若い世代もクルーとしてひとつの艇に定員いっぱいまで乗り込み、インショアからオフショアレースを楽しんでいたそんな時代に建造された艇。

そのYAMAHA33のキャビンを整理していた時、クォーターバースの奥まったところに「B」の文字が入ったスピンバッグを発見!

その「B」の文字の下にはBLOOPERの文字が・・・

BLOOPERを見るのは全くの初めて、以前雑誌の写真で見たことはあるが・・・

トランスパックなどのロングディスタンスレースでスピンネーカーと共に揚げ(スピンネーカーが2枚揚げているように見える)ているのがBLOOPERである。

もちろん、手に触れたことも初めてで、もちろん実際揚げたことなどない。

それともうひとつ、白いセールバッグに縫い付けられた「K」マークと共に「KAWASHIMA MARINE」
「KAMAKURA JAPAN」の文字が・・・

今は「UFO」のオーナー川島氏が手掛けていたセールである。
「NORTH SAIL」の前身である。

日本のセーリングそのものが沸き立っていた頃のちょっと昔の良き時代の代物たち。
ワタシがヨットと出会う少し前、雑誌を読みふけっていた頃の時代である。


昨日、フィンセーラー(モーターセーラー)でジブ、メインをアップし、エンジンを停止させセーリングした。

5メートルくらいの風でかなり結構走るのに感動。

ただ、パイロットハウス内での操船では風を感じることが出来ないのと、マストトップのウインデックスも見えず、うまく帆走させるには経験が必要。

セーリング時にはアフトデッキのティラーで風を感じながら操船するのがベストでした。

モーターセーラーもアリかも?と実感しました。

     
    2010年12月10日
バガボンドに乗る。
   
     
   
   
バガボンド39の試乗に同乗させていただいた。

購入希望の方は近い将来世界一周を考えておられる方。

やはり、なんと云っても外洋に出るには、ロングキール(フルキール)のドッシリとした艇でなければ・・・

幸い今日は12月というのにかなり暖かく、風もなく前半は機走のみで西宮港をクルージング。

後半、少しパフが降りはじめ、ジブとメインを揚げてみるが、バガボンドには少々風が足りず、結局エンジンスロットルはそのままにして機帆走に・・・

2時間程度で帰港することに、そこで着岸時に改めてバウスラスターの威力を知ることに・・・

やはり、やはり・・・この手のヨットって味わい深いものがあります。

     
    2010年12月7日
フィンセーラー
   
   

昨日、火曜日ながらフィンセーラーの納艇を行いました。

火曜日というのはマリン業界がなぜか定休日ですが、BJPは特に定休日はありません。

もうすぐ年末ですが、そういえば、昨年大晦日、今年1月1日もメールの問い合わせがあり、その対応をしていました。

で、フィンセーラーに戻って・・・

この日はあいにくの曇り空、先日の30メーターオーバーの突風といかないまでも、断片的な10メートルオーバーのブロー。

となりの桟橋のジブファーラーが強風でひらきバタバタと揺れていた。

そんなワケで、納艇時の機走、セーリングテスト、着岸練習を、短時間で機走のみで切り上げ、艇の取扱い説明を中心にした。

回航は18日に予定。

フィンセーラーのジブシート用のウインチ。
ハンドルは画像右斜下にある口に棒状のハンドルを差し込むめずらしいタイプ。

 
     
    2010年12月3日
スイング31、大改造計画。
   
   

1991年、横山一郎設計、ツボイ造船建造のスイング31クルーザーレーサーをシングルハンド仕様に大改造することに・・・

フラクショナルリグの大きなメインではシングルハンドではもてあますものがあり、マストトップを切断、その上ブームも短くし、さらにグースネックまでも上に移動。

これで、安全に独りでセーリングができる。

次ぎにハードドジャーを新設計、製作する。

外観はこれくらいが大きく変わるが、メインサロンはそのまま残し、愛想のないアフトキャビン内部とバウ廻りを居住性のあるように大改造する。

主にはこの程度だが、これだけでもかなり時間が必要になる。

この大改造を引き受けてくれたのは、岡山にある「ウッディマリンサービス」さん。

実際、作業に取りかかるのは来年1月から、今は設計の構想の段階です。


フラクショナルリグをマストヘッドに変更するSWING31。

 
     
    2010年11月25日
キャバリア32とバンドフェット。
   
     
   
     
    キャバリア32をトラック輸送で長崎に・・・

バンドフェットは神戸マリーナに引き続き保管されることに。

25tクレーンをチャーターし、海上係留のキャバリアをトラックに積込む。

それが終わると、陸上保管のバンドフェットを海上に移動した。

なんだかんだの準備や世間話も含めて、準備にとりかかった午前10時から、結局終了したのは午後2時すぎ。

クレーン作業そのものはそんなに時間はかからないが、マスト倒しに少しの時間がかかってしまう、しかし・・・なにより世間話が一番時間を有する。

26日午前4時30分に長崎に無事到着したとの一報。

キャバリアはこれから本格的なレストアに入るとのこと。

     
    2010年11月22日
バガボンド39ケッチのリメイク。
   
   
バガボンド39のキャビン内部のリメイクが終了。

リメイクと云っても大袈裟なものではなく、長い航海のアカを落とし木製品をニスでタッチアップした程度。

これ皆、すべてオーナー自身で毎日コツコツと仕上げたもの。

約2ケ月が経過。

そんなことで、すっかり蘇りました。

それと同時にエンジン、発電機、エアコン、計器類などすべて稼動確認。

残すは外装、ハル、ガンネルなどを仕上げるそうです。

「VAGABOND」を直訳すると放浪者。「Drift」とは大きく意味が異なります。

まさにこの艇はVagabondそのもので、世界の海を放浪している艇種で、建造所のキャッチコピーは「堅牢」そして荒天にも耐えるスタビリティ。

世界中の数々の外洋経験者も絶賛している艇のひとつです。

そんなワケで来月には試乗させていただく予定です。

ハンスクリスチャンなどとどんな違いを見せてくれるか楽しみです。

     
    2010年11月13日
パシフィック40。
   
   
APECで警戒のきびしい真っ最中、横須賀に・・・
パシッフィック40を見てきました。

なによりキャビンが美しく保たれていました。
40フィートなのですが、やたら大きく感じます。

エンジン搭載の位置はコックピット下ではなく、ハンスクリスチャンと同じ、コンパニオンウェイを降りたギャレー下に納まっています。

ハンスクリスチャンもそうでしたが、4JHの静粛性にはオドロキです。

普段、1GMや2GMに慣れていると、同じメーカーのエンジン?と思えるほどです。

やっぱ・・・40フィートオーバーです。



 
     
    2010年11月1日
台風。
   
   
台風の影響は西宮にはほとんど影響もなく無事過ぎ去った。
沖縄から14号にはズ〜っと付合わされたが、ようやく晴れ間を見ることができた。

そんな中、夏過ぎから行きたいと思っていた場所(ヨットとマリーナ見学)にMちゃんを隣に乗せクルマで一直線。たぶん500km以上はあるかも?

広島は、観音マリーナと五日市フィッシャリーナへ。


まず、マリーナとボートパークとフィッシャリーナについて議論。
フィッシャリーナは漁港の中にあるということで解決!

その施設、桟橋共にかなり立派で各艇ごとに桟橋が設置されている。
その桟橋に係留されているのが「デュフォー32クラシック」

ハル、デッキ共にキレイ!
コックピットのウッドもキレイ!
キャビンもキレイ!
搭載エンジンは2020!
その上、メインファーラー!

「やっぱりデュフォーはエエなぁ〜」と3人の意見一致!

Mちゃんはメモリカードがいっぱいになるほど各部分を念入りに撮影していた。

追伸!
近くの桟橋にアルページュとは違うタイプのデュフォーを発見!
これもおそらく30年以上前の艇でしょうか?
初めて見ました。

五日市漁港フィッシャリーナ。

 
     
    2010年10月25日午後1時
MOCHI44・・・・とミーモ。
   
 
    MOCHI44は屋久島、奄美大島で給油後、一瞬の晴れ間を見つけて出航、25日午後1時に沖縄県宜野湾マリーナに着岸した。

しかし、し台風14号が迫っている。

指定された桟橋では危険との、地元の重鎮T氏のアドバイスと協力でマリーナの一番奥まった桟橋にこれでもか!っと云うぐらい舫いロープを張り巡らせてくれていた。


そんな中、神戸空港から那覇空港を経て、ワタシが宜野湾マリーナに到着したのは、夕方近く・・・

結局・・・西宮を拠点とするKマリンさんと横浜ベースのT氏に100パーセント以上助けられ、無事に回航が終了していた・・・。


宜野湾マリーナには昨年何度となく行き来していたので、幸いにして知人が多くでき助けていただくことばかり・・・
     
   
   
そんな中、東京から出航してきた30フィートのヨット「ミーモ」のA氏親子と遭遇!
このA氏とは昨年、御前崎で避難のため3日間過ごした中。
偶然の再開話に花が咲いてしまった。

     
    2010年10月24日
フィンセーラーに乗る!
   
   
西宮ボートパークに係留中のフィンセーラー。
モーターセーラーである。

普段、この手のタイプのボート(ヨット)にめったに乗ることはない。

コックピットからの風景は、やはりボートでもなくヨットでもない、やはりモーターセーラー。

モーターセーラーと云ってもそんなにスピードが出るワケでもなく、帆走性能もそんなには良くない。

ただ、なんとなくモーターセーラーにはモーターセーラーなりに良さを感じてしまう。
この艇は以前、日本一周を成し遂げ、今は西宮に棲む。

建造から30数年を経て、まだまだ現役で海に出ている。

今日もちょこっと機走のみ、揺れ方も走るさまもヨットとはひと味の違いを体感した。

FinSailerのコックピット。
舵は後部の長いティラーと連動している。その日の気分でラットかティラーをチョイスできる。

 
     
    2010年10月22日
キャバリア32の船舶検査
   
   
神戸マリーナの桟橋に係留されていた「キャバリア32」の契約が終わり、先日21日に検査を受けました。

限定沿海で取得。

限定沿海仕様の検査で必要な安全備品は、繋船ロープ2本、アンカー(アンカーを必要としない艇は不要)、救命胴衣(定員分)、救命浮輪1個、信号紅炎1セット、赤バケツ、音響信号(フォグフォーン)、黒色球型形象物3コ、レーダーリフレクター(平成6年以前の建造艇は不要)、工具一式。

そして、もちろん航海灯がすべて点灯すること。

しかし、これが揃っていない艇に検査を受けるたびに驚かされます!
以前、ライフジャケットはもちろん、安全備品のすべてが搭載されていませんでした。
唖然!

実際、繋船ロープ、ライフジャケット以外にアンカーはおろかライフリングなど、めったに使うことはありませんが、せめて法定安全備品は万全にして海に出てもらいたいものです。

波高2メートルを越え、日没になると、その必要性を実感します。

10月に入って、アイランドパケット、MOCHI44、キャバリア32と検査が続きます!
しかもすべて雨!

     
    2010年10月20日
ヤマハ25MK2とニッサン・フリーダム22
   
   
MOCHI44の回航は只今、荒天のため屋久島で待機中です。
あと3〜4日は動けそうではありません。
波高は5メートル・・・


そんな鹿児島〜沖縄間と比べて西宮港は穏やかで、北東の風5ノット程度。
波もまったくありません。

今日はなんと・・・20数年ぶりにヤマハ25MK2でセーリングをしていました。

機走は、この2年で何度も経験しているのですが、ジブセール、メインセールのみでセーリングするのは初めての気分でした。

ジブセールはファーラーではなくハンクス仕様。
メインもスライダーでなくグルーブに通すタイプ。

アビームでは快調に帆走してくれます。
おそらく5ノット程度。

この日、同じ神戸マリーナからニッサン・フリーダム22が出航していました。
この艇は、本当に毎日出航している艇です。

そのフリーダムのセーリングに合わせて伴走。
僅かにおいていかれてしまいます。

レース魂にほんの少しだけ火がついてしまいました。
のんびり走るのもイイんですけど、たまには競い合うのも楽しいモンです。


ニッサン・フリーダム22。西宮港にて。
     
    2010年10月13日
西宮マリーナ・MOCHI CRAFT 44
   
     
磨き込まれたハルに海面とスプレイが映り込むが、
残念ながら海の色はアメリカンコーヒー色。
  回航前夜のMOCHI44。
西宮マリーナ桟橋にて、入念なチェック。
   
     
    そのMOCHI44のテストラン。
もちろんいつもの西宮港沖をおおよそ1時間程度航行した。

全開にはしなかったが、フラットな海面と云うこともあり軽〜く20ノットオーバー。
完璧に整備されたエンジン、その他の機関に全く異常はない。

ちょい乗りを含めればセーリングクルーザーは毎週、毎日のように乗ってはいるが、この手のモータークルーザーに乗船する機会は年に数度。

不馴れなこともあるが加速体制に入ると思わずチカラが入ってしまう。

フライブリッジへのアプローチもかなり慎重慎重!
FBはヨットで感じる風とは全く異質な風であるが、気候の爽やかさのせいもあるが心地よい風を味わえる場所でもある。

防波堤の赤灯台を一瞬のうちにとおり抜け、神戸空港近くでUターンしこの日のテストクルーズは終了した。

次週には700マイルの旅がはじまる・・・

     
    2010年10月11日
西宮マリーナ・MOCHI CRAFT 44
   
   
モキ44、モータークルーザーです。イタリアメイドです。

GM6V92TAエンジンの2基掛け550hp×2を発揮。

MOCHI はFerretti グループでドルフィンがMOCHI のシンボルマーク。

エクステリア、インテリアともホワイトをベースにグレーをアクセントにデザインされた美しいボートです。

このボートのメイクアップがほぼ完成。残すはキャビンのバフ掛けとアフトデッキのチーク補修のみ。

エンジン、発電機などの機能パーツをチェックし、消耗部品はすべて取り替えました。

画像はハルのバフ掛け中。

船底塗料のすべて剥がし、スクリュー、ラダー、スルハルと丹念に磨きを掛けます。

船底塗装は2度に分けて塗っていきます。
もう少しで完成。


     
    2010年10月4日
西宮マリーナ・アイランドパケット29
   
   
今回の回航はわずか30分。西宮港内を移動したのみ。

着岸は西宮マリーナのBバース。

ここは大阪湾でも波と風の影響が最も少ないマリーナ。

西宮マリーナの歴史は古く、おそらく日本国内でも一番か二番めにマリーナとして開業されたと思います。

堀江健一氏のマーメイド号が一番最初の大平洋横断のスタートとなったマリーナです。
映画「大平洋ひとりぼっち」にももちろん登場!
最近では村上春樹氏の小説「1Q84」にも登場しています。

さて、この「アイランドパケット」は遠洋艇としての評価は高く、友人の言葉を借りると「アイランドパケットなら安心できる、頑丈に建造され、直進帆走性能が良くオートパイロットに頼らなくても結構まっすぐ走る。
また、ロングキール(フルキール)なのでオンザロックの心配もないのがイイ」とのこと。


明日から、旧船名、船検ステッカーの貼り替えを行いチャンスを見つけてセーリングに出かけます。

     
    2010年10月2日
能登半島・七尾湾とマイレディ
   
    穴水マリーナの全景。海上はヨットがメイン
   
    陸上にはフィッシングボートからリーバフェラーリ、サードクリーバーまで保管されていました。
   
    七尾北湾で下架中のマイレディ
   
    七尾北湾を見下ろす別荘地。入江の中はまるで湖。
     
   
マイレディをトラックで陸送。

同時に当方はクルマで後を追いかけた。
その距離、西宮から400kmちょっと、片道5時間。

能登半島の東、七尾湾の北湾の穴水に「穴水マリーナ」があり、そこにマイレディを運び込みました。

日本海とは思えない雰囲気のイイ入り江です。

早朝に下架、マスト起てを完了。
まるでプラモデルをつくっているようです。

ただ、自然とサイドベンドしてしまったマストを真直ぐにチューニングし直し、過去のデータは捨て、サイドステイのテンションを緩めに仕上げ、バックステイを大きく引けるように調整した。

午後からは湾内のさらに奥まった入り江を軽〜くセーリング。

これが風速8m程度の風ながら、波も穏やか・・・
まるで北欧の湖のフィーリング・・・

マイレディが蘇りました!

     
    2010年9月29日
大阪湾・淡輪から北港へ。ヤマハ31EX
   
     
   
   
大阪湾の南、淡輪ヨットハーバーから、大阪・北港ヨットハーバーまで、納艇を兼ねた回航。

同乗者は、新オーナーさんとそのご友人とワタシの良きパートナーのMちゃんの4名。

ようやく気候も秋らしくなり、暑くもなく寒くもなくまさにセーリング日和。

その上、波も穏やか、風もまぁまぁ・・・・。

いつものi Phoneにブックマークされた「国際気象海洋」のホームページから風向風速をチェック。
関西空港の南は北西の風5〜6m。関空から北は2〜3mのインフォメーション。

それならっと、いうことで、淡輪を出航するとすぐにメインをアップ。

インフォメーションとピッタリ。風は5mから6m、ほんの時折白波が立つ程度。
じゃ、最初はセーリングであとは機帆走ということで・・・

ヤマハ31EXは少しヒールし、関空橋をくぐるルートではなく、迷わず淡路島よりのコースをチョイス。

途中インスタントラーメンをご馳走になりながらの余裕のタックを2〜3度繰り替えし本船航路近くで再びタックし、風が落ちたところでエンジンをスタートさせた。

しかしアメダスの予報の正確さには毎度ながら驚かされる。
風向もエリアごとにピッタリ適中。


なんだかんだで、出航からほぼ6時間程度で北港ヨットハーバーに入港。

そこで軽〜く数度の着岸練習。

年に数度とない、心地よいセーリングでした。
やはり、ちゃんと整備された艇は安心で安全です。

     
    2010年9月19日
西宮港・ヤマハ25マイレディ
   
   
大阪湾、西宮港をセーリング。

艇はヤマハ25マイレディ。
ビギナーさんのヨット体験を兼ねショートレグのセーリング。

友人のO氏を誘い、舵をまかせた。
ワタシはどうも舵を持つのがあまり好きでなく、この30年間ほとんど舵に触れたことがない。

もっぱらボーっとしていることが多い。

さてさて、たった2ケ月ほど前に船底塗装を終えたばかりのマイレディを離岸しようとするが、いっこうに前進しない?

フルスロットルにして少し黒煙を出しながらようやく1ノットか2ノット程度。

スクリューにフジツボが付着している???

この艇に限らず、西宮港に海上係留されているボート、ヨットに限らず、ほとんどの艇にフジツボが異常に付着しているらしい。

やはりこの夏の暑さのせいかも???

しかたなく、メイン、ジブをアップし、沖に出た。
セーリングだとまぁまぁのスピードで走れる・・・

スクリューのことは忘れ、5時間近くセーリングを楽しんだ。

スクリューやラダーに異常発生したフジツボを取り払うには、ダイバーに依頼するか?上架するかで悩んでいるところです。

それにしても、かなり異常発生です。

追伸、その後ダイバーを依頼しスクリューのフジツボを撤去。
おどろくほどに快調に走りました。
たった少しのことですけど、大違いでした。

久々の西宮。
遠くの風景は西宮や神戸の風景。
このマイレディは10月に能登半島、七尾湾に陸送されます。


 
     
    2010年9月10日から13日
デュフォーアルページュの回航。
 
    富士山が真近に見えるマリーナです。
   
    駿河湾の西。静岡県清水港・折戸マリーナ。
   
    御前崎へのアプローチ。
   
    大活躍するオートパイロット。しかしフリー(後方からの大きな波)ではパワー不足とレスポンスに難アリ。マンパワーが必要です。
   
    和歌山県日ノ御埼の夜明け。新調したジブセール。HYDE SAILのフォームラフ仕様。かなりパワーを感じます。
   
    大平洋上の夕焼け。
     
    アルページュのリメイクが完成し、ついに納艇の回航日が来た。
待ちに待った3ケ月。

鳴尾マリーナから清水港の折戸マリーナまでの約300マイル。
5ノット平均で約60時間の旅。

午後8時に出航。

西宮港、一文字防波堤の東を抜け、友が島を目指す。

風は北。クォーターリーとアビームのシフトをくり返す。

時間どおり6時間後に友が島水道に到達。幸いにも潮に乗り、9ノットオーバーでとおり抜けた。

それからというもの、調子に乗り、潮岬までもクォーターリー、しかも潮岬から御前崎までも後ろからの風と波。

普段の回航は向い風と波にいじめられドスンドスンと波に叩かれるが、今回は時折サーフィングしながらのセーリング。

快適この上ない。

しかし、潮岬から御前崎までは、気が変になるほど退屈な航海。

相変わらず24時間以上360°水平線のみが見えるだけ。
本船も極端に少なく、ワッチ時にフネを見たのは2艇のみ。

出航から40時間ほどで御前崎を回航。

駿河湾に入ると波も風もおだやかになり、あと5時間、あと4時間、あと3時間とカウントダウンしながら清水港にバウを向ける。

予定よりも8時間も早く、清水港の一番奥まった真っ暗な「折戸マリーナ」の桟橋に着岸した。

今回の回航に要した費用。
燃料費、軽油210リッター。1リッターあたり2時間の航行計算。
食料費、3名3日分。約20,000円。飲料がメインにレトルト食品。
それに氷を24袋(買い占め)
クーラーボックスなどの備品に、約15,000円。
海図と入港案内冊子に15,000円。
スペアの燃料ポリタンクなどに10,000円。

艇の装備、航行備品。
オートパイロット、GPS、海図、入港案内冊子、燃料120リッター。
コンパス、ジブファーラー、イージーバッグ。

それとビミニトップを新設。ビミニは夏には欠かせません。必要最低限と思われる装備です。

それにプラス、ガーミン製ハンディGPS、iPhoneに内蔵された地図(Google)
中でもオートパイロットは欠かすことができません。
ジブファーラーも重要なファクターのひとつです。

回航中(クルージング中)は可能な限り、コックピットから出ないのが安全です。
50センチ程度の波高でもデッキに立つのは勇気がいります。

今回の清水港(折戸マリーナ)には午後10時30分にアプローチ開始。

着岸までに約1時間。

海図、入港案内、GPSの3種類を見比べ、さらにiPhoneの内蔵GPS。

一番頼りになったのは、やはりiPhone。
このiPhoneは真っ暗で全く初めてのマリーナにでも難なく入港可能にしてくれるアイテムです。
ただ、陸地から20マイル離れた海や、携帯電話の「圏外」では使用不能。



     
    2010年8月28日
デュフォーアルページュ
   
     
   
   
アルページュのリメイクが完成しました。
ちょっとばかり時間を掛け、外装では主に船底塗装、ハルの再塗装、ガンネル部分のチークの磨きにニス仕上げ。

キャビン内部から見ると、なぜかハルの外側から一部光りが透けて見えたため、下地のサフェーサーのを念入りにしたあと、3度オフホワイトを塗装しました。

また、デッキも塗装。
これもところどころに色落ちがあったために、念入りに磨き、3度の塗装を経て完成!

ジブファーリングシステムが装備されていなかったので、プロファールのファーラーを装備。
ついでに130%のジブセールを新調。メーカーは地元のTRY SAIL。
ブームカバーはイージーパック+レイジージャック。

そしてアクリルハッチのアクリル部分は当然交換。
シート類もすべて交換。外見はものの見事にリメイク成功!
水面がハルに映ります。

キャビン内部は床を15mmのチークに新調。ニスで仕上げています。

あとは、電気関係の配電パネルを作り替え、配線を修正。

作業は細かなリメイクを数えあげれば50ケ所以上。
ついでにエンジンもエンジン調整と消耗パーツのすべてを交換。

この作業は当然、信頼ある浜田ヨットさんに依頼した作業です。

あとは回航を待つばかりです。

     
    2010年8月17日
クルマの話。
   
     
P2のコックピット   ボディはFRPセミモノコック。基本的にはボートやヨットと同じ構造です。    
   
たまにはクルマの話でも・・・

17日火曜日、マリン業界が全般的に定休日なのもあって、かなり久しぶりにモータースポーツの世界を訪れました。

モータースポーツの世界は、日本国内のボートやヨットと違って流体に関する思考や知識、それに使用する材質などもかなり進化しています。

一部、グランプリヨットレースの世界ではそれに近い存在のレースボート(ヨット)もありますが・・・

そんな訳で、午後には某社の見学に・・・

そこには某社のレーシングマシーンや最新の素材を使用する航空機パーツ、空力などなど・・・

あと、数十年もすればこれらのKnowHowや素材がボートやヨットに生かせられる日がくるのだろうと思いながら、某社を後にした。


続いて、これもまた久々のスズカ。

そのフォーミュラカーのコンストラクターへ。
マシーンを見るより昔話に花が咲き、ほんの少しの見学に終わってしまったのはちょっとだけ残念ですが・・・。

この日出会ったのは、モータースポーツファンならサインをねだりたくなるような人物ばかり、国内最高峰のコンストラクター?のH氏。

元インディカートレーサーで現在はチームオーナーのH氏、元F2ドライバーなどなど・・

話は戻って、某社のエントランスに飾られていた1979年のP2モデルを初めて目の前で見た。
全長4235mm、幅1775mm、高さは僅か990mm、思い描いていたイメージよりも遥かに小さく感じられた。

細かく詳細を語ってみたいが、なにしろすべてがシークレットな部分らしいので・・・。

次回はMcLarenに行く予定です。

追伸、ヨットの話。
先週、新西宮ヨットハーバーで開催されたヨットレース「JAPAN CUP2010」はOVERALLで「SWING」GP42が優勝、2位「KARASU」KING40、3位が「SUMMER GIRL」First40.7。

ちなみにFirst40.7はプロダクション艇を大改造、ブランニューのFirst40を寄せつけないどころか、クルマで云う乗用車がフォーミュラマシーンのIRCボートを脅かしていた。

このあたりのレースヨットになってくると、前出のモータースポーツのそれに少しは近付いている気がする。

     
    2010年8月10日
中国・青島。
   
   
今、今と云っても数年前からの中国のセーリングスポーツの発展には目覚ましいものがあります。

アメリカスカップチャレンジに始り、Volvo Ocean Cupなどなど・・・
特に北京オリンピックを境にその熱はさらにヒートしているようです。

政府がセーリングスポーツにチカラを注ぎ、知人の情報によると、大連ではベネトウ40を大量に発注しセーリングを普及させています。

以前は日本の中古ヨットを求めている時期もありましたが、今の中国はヨーロッパから新艇を購入するようになっています。

その上、自国での建造も活発になりディンギーはもとよりセーリングクルーザーをつくり始めています。

もともと、超大型豪華クルーザーや漁船の建造、また日本にも漁船、20フィートから25フィートクラスのフィッシングボートを輸出されていましたが、今年あたりからはセーリングクルーザーの建造、輸出が行われようとしています。

ご存じ、J-BOATSも建造されはじめ、OPディンギーで実績をつくった
FAR EAST社はSIMONS VOOGD設計による26フィートのセーリングクルーザーに着手しました。

20年〜30年前の日本もそうでしたが、中国のスケールはその数倍のパワーを持っているようです。

     
    2010年8月6日
ハンスクリスチャン/東京汐留から博多まで。
     
   
四国・松山沖から一気に関門海峡、そして玄海灘を廻り込み、8月6日0930に福岡市・小戸ヨットハーバーに着岸した。

着岸したと云っても、実際ワタシが乗船していたワケではなく。
乗船したのは、東京・汐留から横浜ベイサイドマリーナの約20マイルのみ。

その後の630マイルを航行したのは、なんと!セーリングクルーザー歴0年の3人。

そのうちのひとりはディンギー経験あり。もうひとりは少しの間、商船に乗った経験あり。もうひとりはヨット初体験!

しかも艇はハンスクリスチャン43。
ご存じのダブルエンダー。

快挙というしかないほどの航海でした。

当方がサポートしたのは、横浜、西宮での燃料補給、メンテナンスの手配。
気象情報、潮流情報を携帯電話のメールに送ったのみでした。


     
    2010年7月31日
ハンスクリスチャン/東京汐留から博多まで。
   
   
7月31日。SBFさんで回航のための必需な部分のマスト灯、ジブトラックの修理を終え、31日の午後6時に横浜ベイサイドマリーナを出航した。

浦賀水道を抜け、三浦半島、伊豆半島下田からは黒潮を避け岸寄りを航行。

ただ、岸寄りのためチョッピーな三角波の影響がある。

風は西に廻り出す。

これはなぜかいつものことだが、回航時にはいつもいつも、行きたい方向からの真向かいの風になる?

途中、燃料消費テストのため御前崎に入港。90Lを補給。
横浜から僅か100マイルで90Lはかなりの低燃費???
ターボの影響か???

紀伊半島最南端、串本から友が島に掛けては潮の影響をもろに受け、対地速度が極端に低下。西宮8月3日、0800着岸予定が1100に・・・

が、新西宮YH入港寸前にトラブル発生!
燃料系統のトラブルでエンジンストール、なんとかセーリングのみでの入港をトライするが、艇の特性を考慮し、JCGのお世話になるハメに・・・

8月4日、1100に新西宮YHを出航した。

     
    2010年7月31日
ハンスクリスチャン/東京汐留から博多まで。
   
   
7月28日夜、新幹線で汐留近くのホテルに到着。

翌朝から、保管場所のフィンセールマリンさんで回航準備にとりかかった。

食料、飲料、備品、工具類、軽トラックいっぱい分は大袈裟にしても、テンダーボートのSRVのデッキが満載になった。

30日の午後には時間を稼ぐため、30ノットオーバーの風の中、少しだけガンバッて横浜ベイサイドを目指した 。

同乗してくれたのは、古くからの友人。考えれば15年ぶりの彼とのセーリング。

チョッピーな波が連続し、バウからコックピットにかけて大量のスプレイが30秒ごとに襲いかかってくる。

もちろんズブ濡れ!でもこれがかえって気分がイイ。

これが湾内だからけっこう笑っていられるのだが、これが浦賀水道を越えると辛さに変わる。

平均7ノットでの機帆走で、僅か3時間と少しで到着。

港内に入り、沖ではできなかった艇の基本的な動きをさぐるため、微速前進、後進、舵のレスポンスなどなど・・・

やはり、さすがのこれがダブルエンダーの動き!

後進は艇の動くままに身をまかすしかない。舵を右に廻しても左に廻ってしまう。

心配された着岸も、事前に連絡しておいたマリーナのスタッフさんと、SBFの貝道氏が桟橋まで出迎えにきてくれ、その上、余裕の長さのビジターバースのお陰もあって、普通のヨットのように着岸できた。

     
    2010年7月23日
パサトーレバカンス。
   
   
1970年後半、ニュージャパンヨットで建造された「パサトーレ」
その「パサトーレ」シリーズの追加モデル「パサトーレバカンス」がある。

この時代、1970年代は、ニュージャパンヨットをはじめ国内には数多くの造船所が存在し、セーラーたちは今と違って本気?でセーリングを楽しんで(苦しんで)いた。

レース派、クルージング派(ブルーウォーター派)共に過激な週末を過ごしていた。

もちろんエンジンはパワーも小さく、当然燃料タンクもごく少量。

GPSやオートパイロットも必要としなかった時代。

その頃に建造されたヨットは堅牢につくられ、サイズが小さくとも荒天の海に立ち向かって行く事が可能だった。

この「パサトーレバカンス」も同じで、当時のハーフトナーレースで大活躍していた艇である。

しかもデザインはフランスのヨットデザイナー「フィノグループ」によるもの。

「エクメドール」「レプドメール」「ソレイユルボン」「リュンドメ」「リベッチオ」「バンドフェット」などがある。

そんな「パサトーレバカンス」でほんの僅かな時間、明石海峡近くの須磨沖にセーリングに出た。

梅雨が明け太陽が容赦なく照りつける!
僅かなブローにジブセールだけを合わせエンジンをストップ。

ジブセールだけでも素早くブローに反応し、さすが一時代を築きあげた、ハーフトナーの実力を見せてくれていた。


     
    2010年7月23日
中古ヨットの海外輸出。
   
     
   
     
    ここ数年、日本国内から海外に向けてヨット(ボートも)が多く輸出されています。

もちろん中古のヨット。

輸出国は主に韓国ですが、ロシアなどへも多く輸出されています。

今年に入ってから当サイトからも月1艇平均で韓国に輸出されています。

ブランド別で云うと、一番人気のあるのは「ベネトゥ」で、国産艇はあまり人気がありません。

昨年までは国産艇の25フィートクラスも輸出されていましたが、今はほとんど需要がなくなりました。

今回、25フィートを輸出するんですが・・・
これが慣れないと輸出手続きがちょっと複雑です。

まずJCIで廃船願いを提出、韓国領事館で仮国籍取得、税関での輸出手続き、そして最後に艇への立ち入り検査があり、次に最後の帰港地で出国許可とパスポートにスタンプを押してもらいます。

画像は、艇の立ち入り検査時のもの。

     
    2010年7月20日
たつの市御津町岩見港
   
   
瀬戸内は何度もおとづれているが、御津・岩見港は初めてだった。

ここは兵庫県と岡山県のほぼ県境、地図で云うと家島諸島の北に位置する。


梅雨があけ、いよいよ夏の風景になりはじめた。

この日もヨットではなく、クルマでこの御津・岩見港に向かった。
ヤマハ25MKIIを見るためである。

30年の建造年数にしては、かなり手が入れられよく整備されているのが遠く離れた場所からでも充分それが伺える。

ハル、ボトム、デッキ、キャビン、エンジンのどれを取っても磨き込まれている。

こんな艇に出会うとついついデッキに座り込んでしまう。
この日は30度を超え、太陽がギラギラと照りつけるが、のどかな風景のせいかあまり暑さは感じない。

港の防波堤に立つと、家島諸島の男鹿島が目に入る。たんがしま?たんがじま?だんがじま?と呼び方はさまざまだが、一般的にたんがじまの表現を一番耳にする・・・。

明石海峡を抜けると、上島、クラ掛、太島の小さな島があり、そして山肌を削りとられた島が見える。それが「男鹿島」である。

美しき哉瀬戸の島々なのである。

明日から、この艇の出航準備にかかります!

     
    2010年7月7日
西宮から阪南港へ
   
   
静かな海面にブローが吹き降り、午後1時すぎにマイレディは出航した。

南からの風を受け、西宮港はいつもの三角波。
艇は前後左右に揺さぶられる。

風力は20ノット前後で時折スプレイをもろにかぶるがズブ濡れになることもなく、かえって心地よい。

防波堤を抜け、150%ジブを70%程度に開き機帆走で目的地に向かう。

徐々に風も落ちはじめ、天気予報どおりの穏やかな風になり、メイン、ジブ共にフルセール。

白波が残るクォーターリーでマイレディは快調。
これがセーリングだ!の見本的な走り!

目的地の阪南港はKIXのちょっと北に位置し、その港の沖にはランディングのためのランドマークが設置されている。(KIXランディング時のポートサイドから見ることが出来ます。)

そのランドマークを南に見てアプローチ。

ヤマハ21R&Cのスターボード側に夕刻に着岸。


 
     
    2010年7月3日
雨中のセーリング
   
   
雨のセーリングは辛いものです、ましてそれが夜間ともなると、それはもうヒドイものです。
しかも3時間以上となると大変なものです。
ズブ濡れです。

夏とは云えかなり寒さを感じます。
雨だけならまだしも、スプレイを浴びるのもかなりこたえます。

7月の日中の雨の場合は半そでポロの上に防水のしっかり効いたセーリングジャケットを着て、その上にライフベストを着用しています。

夜間で長時間の場合は場合によって薄手のフリースを着込みます。

やはりなんと言っても、セーリング用にデザインされたジャケットは優れています。

まず、縫い目からの雨の浸透がありません。
袖は二重になっており、ほとんど雨が入りません。
襟は高く、ビッシっと留めれば鼻、耳まで隠れます。

トラウザーは防水のセーリングパンツ。

この組み合わせがベストなのですが、困るのはシューズです。

ブーツでは蒸れるし・・・
普通のデッキシューズでは雨がしみ込みます。

今、雨に強いデッキシューズを物色しています。


 
     
    2010年6月24日
東京・銀座/ハンスクリスチャン
   
   
東京は銀座八丁目、高層ビルが立ち並ぶ、まさに大都会のど真ん中にハンスクリスチャンは保管されていた。

浜離宮庭園、電通本社ビルを目印に東京駅からタクシーで向かった。
昔、雑誌で見かけた記憶があるような???そんな風景・・・。

ヤマハSRVをテンダーボートにして、そのハンスクリスチャン42に乗船した。

チークデッキもそこそこ手入れも行き届いている。
キャビン内部はいかにもハンスクリスチャンらしさが漂い、レースボート(ヨット)で育った者にはかなり新鮮に映る。

コックピットもドッグハウスも、シアーラインも、艇の何もかもがハンスクリスチャンと言える見事な艇のつくりである。

     
    2010年6月15日
高知港/ハイグレース33
   
     
   
     
   
     
   
     
    15日午前5時。
ハイグレース33は高知港・横浜漁港に着岸した。

今回の回航は12日土曜日午前10時、西宮港・神戸マリーナを高知港に向け、ノンストップの予定で出航。

この時間帯は天候も良く、クルージング日和。
暑くもなく、寒くも無く、半そでのポロと短パンがちょうどの気候。

フルメインにマストヘッドから150%のジブをフルに出し、一年に数度とない心地よいセーリングを楽しんでいた。

しかし午後3時、少しづつ風力が上がり、波も高くなりはじめていた。

出航前の予報では夜半から明け方にかけては四国沖に低気圧が近付き、雨の予報であったが、波浪注意報、強風注意報のたぐいはなく、「まぁ多少の雨と風くらいはガマン!」のつもりだったが・・・

関西国際空港を過ぎたあたりからバウからのスプレイで半そで、短パンが濡れはじめて来た。
もちろんデッキはウェット。

目の前には淡輪ヨットハーバーのクラブハウスが見える。

心の中で葛藤が始った・・・
このまま突き進むか???淡輪に入るか???
風力計の針は時折40ノットをオーバーする。

10分ほど悩んだあげく、同行のM氏のアドバイスで「同じ入るなら、淡輪よりも洲本・サントピアへ・・」
「少しでも距離を稼ぎましょう!」

この言葉が背中を押してくれ、この日はサントピアマリーナに入港した。

結局風がおさまらず、サントピアマリーナで12日、13日と2泊し、14日夜明けと共に出航した。

昨年まではi phone の情報だったが、今年docomo&acer を新たに導入。

この2機種で天気、風、波の情報を確実なものにした。
i pad も検討したが、通信エリアなどを考えるとやはりdocomoに軍配か???

友が島を抜け、沼島、伊島を目指す。
天候は曇り。風、波はなく、2日間の休みは無駄ではなかった。

5〜6ノットで6時間も走ると、室戸岬の先端が見え始めるが、伊島からが長い長い時間を要する。

出航してから14時間、ついに室戸岬回航。

このころにはすっかり日が暮れ灯台の灯がたよりになる。

海図、GPSで進路をチェック。
海は大きくうねっている。月、星が全くなく、真っ暗闇の中を進む。
もちろん空と海の境い目など見えない。

室戸から更に6時間、真っ暗な水平線に、ついに高知港の灯が見えた。

     
    2010年6月5日
神戸マリーナの親睦レース。
   
   
久々のレース!

レースと言っても神戸マリーナに保管される艇のみの親睦レース。

そのレースに飛び入りで参加させていただいた。

参加艇数は僅か8艇だが、その艇種はさまざまで、レース艇らしきものはケブラーセールを揚げるヤマハ30S2のみで、後は乗船させて頂いたヤマハ30DS。もちろんダクロンセール。

そしてX99、ニューポート28、トランパー32、デヘラーなど。
かわり種ではフリーダム22と多種多才。

だから面白い!

コースは神戸マリーナ沖をスタートし、湾岸線の狭い水路を小刻みにタックし、鳴尾沖の浮標を回航し、再びスタート地点まで戻る、少し長めのソーセージコース。

乗せて頂いた30DSは風上一番のトップスタート!しかし風下から30s2に突破され、そのまま徐々にリードを許し3分差でのフィニッシュ。

優勝はフリーダムに乗る神戸マリーナのプロセーラーO氏!
今だ現役・・・・う〜〜〜ん。

     
    2010年5月29日
アルページュ/鳴尾マリーナ
   
    鳴尾マリーナへのアプローチ。
   
     
    久々の晴天!
風もそこそこに吹いて、西宮沖は暑くもなく寒くもなく、心地よい1日。

ちょっとひさしぶりでもないけど、今年数回めのセーリング。

しかも「デュフォーアルページュ」
コックピットには「ARPEGE」のプレート。
その中身は、Architecte;Michel Dufour Constructeur
さらにドッグハウスにもDUFOURマーク。

さらにジブセールのラフにもプレートと同じ内容のプリント!
と、いうことは、ん十年モノのセール?

と、いろんなことに感激しながらのセーリングでした。

そして夕刻、御指名があって鳴尾マリーナの浜田ヨットさんに入港。
これからリメイクを行います。



     
    2010年5月21日
神戸マリーナ
   
   
ここ数日、神戸マリーナでは毎日のようにヨットがリメイクされています。
「ハイグレース33」「バンドフェット」「キャバリア32」「マイレディ」・・・

そのかいあって「ハイグレース33」が高知に行く事になりました。
ハルは再塗装!船底塗装はもちろん!

すべてが完成したら小さな150マイルの旅に出ます。
もともとこの艇は昨年、沖縄を往復し終えた艇で、バリバリの沿海仕様。
ライフラフトも装備されています。
もちろんシングルハンド仕様。

明日は「バンドフェット」が完成します。
「キャバリア32」はかなりオシャレに仕上がる気配です。

     
    2010年5月11日
瀬戸内海・北木島・白石島 PART3
   
    白石島の雨上がりの桟橋
   
    白石島、白砂青松海水浴場
   
    多分ホランド45?
     
    45フィートのケッチによじ登り、まずはデッキのスターンからバウへ。
そしてキャビン内部へと足をすすめた。

キャビン内部は散乱している。
随分長い間、乗船されていない様子である。

この艇はアメリカから日本に4年前にクルージングで来た艇で、日本のあちこちを廻り、この白石島に来たそうだ。

で・・・今回この45フィートケッチを販売したいということになりました。

この艇をアテンドしてくれたのは、オーストラリアのMooooことPaulさん。
Paulさんは、アメリカ人の奥さんAmyさんとこの白石島に住んでいる。
しかも漁港のド真ん前!

そんな二人に島の観光案内をしてもらった。

日本をガイジンさんに日本人が案内してもらうのはなんとも不思議です。

そんな中、この島に新しく出来た「新港」と呼ばれる港へ。
この港には桟橋も設置され、プレジャーボート、ヨットも係留可能だそうだ。

それともう1ケ所は白石島・白砂青松海水浴場へ・・・

このビーチにはAmyさんとPaulさんが営む「MooooBar」がある。
今年4月には「第35回舵杯」がこの島で開催され、このビーチでパーティが行われた。

どうやらAmyさんとPaulさんを訪ねてこの島に来るセーラーも多いと聞いた。


     
    2010年5月11日
瀬戸内海・北木島・白石島 PART2
   
    笠岡港から出航するフェリー200t程度の大きさ。
   
    北木島のゆうこうマリンロフト。
   
    まるでテレビ番組の「ふるさとを訪ねて」のような不思議な旅?になった。

まずは、10日、岡山県、虫明湾と牛窓へ。

11日の早朝に笠岡港にクルマは到着した。

笠岡港のフェリー乗場は絵に書いたような田舎の港。

小さな待ち合い室には、作業服のオニイサンとオバサンのふたりづれ・・・
いかにも・・・といった風景。

北木に行くにはフェリーしかない。

北木には「ゆうこうマリン」コリン夫妻が住む。
もちろん作業場もこの北木にある。

今回はその北木島の「ゆうこうマリン」訪問とその隣の白石島。

フェリー乗り場には乗船券の販売所はなく、フェリーが動きだしてから船員さんが一人一人を徴集してまわる。

フェリーはすごくゆったりしたスピードで進む・・・雨にけむる島々の細い航路を抜け、離岸した時のスピ−ドをほとんど変えることなく約45分。

まずはなんとか北木島にたどり着けた。北木島の港にはコリンが迎えにきてくれていた。
さっそくロフト見学!

想像していたよりも大きな規模。セールメイキングのテーブル、セールクリーニングのプール、ロープ(シート)の棚などなど・・・。

隣にはインフレータブルボートの作業場・・・。
一歩中に入れば、島の風景とは異なった世界があります。

人口1300人ほどのこの島は、北木石(花崗岩)の産地として栄え、大阪城、靖国神社などにも使われているそうです。

さて、隣の島からポールさんがフィッシングボートで迎えにきてくれました。

オーストラリアの方です。
あとで分かったことですが、奥さんはアメリカの方で、日本に来て14年になるそうです。

北木とコリンとは別れ、走る事10分、白石島の漁港へとボートが入り、今回の最大の目的である45フィートのケッチのハルに横付けした。

     
    2010年5月5日
ロシア人のアレックス親子のその後・・・
   
   
昨年11月、西宮(神戸マリーナ)から旅立ったALEXとDIMAの乗るピーターソン33は、宮崎沖でのエンジントラブル、悪石島、沖縄・宜野湾を経てフィリピンへ・・・

昨日、ようやくフィリピンから「楽しんでマ-ス〜」の意味のメールが届いた。

西宮を出てから半年も経っている。

なんでも、通信手段が無かったことと、メールアドレスなどを航海中に亡くしたこと???らしいが、まぁ呑気にフィリピンでのヨットライフを楽しんでいるらしい。

彼等はもともと呑気な上にフィリピンの暖かさも手伝ってか、さらにライフスタイルがスローペースになってしまったのが今回の連絡になったのだろう。

それと、デヘラー38もフィリピンをベースにクルージング中です。なんでもマリーナの保管料金やヤード仕様料が日本と比較して極端に安いそうです。

     
    2010年5月1日
大阪湾・堺市浜寺
   
    遠くにぼんやり見えるのが六甲山。ヤマハ23II
     
    西宮のオフィス前からボート?漁船に乗せて頂き、堺市の浜寺ボートさんに・・・。
ヤマハ23IIの引き取りです。

このタイプの漁船って結局のトコロ初めての体験!

音こそウルサイが、けっこう快適に走る!

多分40フィートオーバーのサイズの影響もあるのかも知れないけど、波の静かなせいもあるかも知れないけど、とにかくピッチングなども少なく、Y社あたりの豪華クルーザーと云われるボートより遥かに快適!

で、浜寺には45分で到着!
同行のヨットとボートオタクのMちゃんは桟橋に降りるなり、隣に舫われた大きなヨットを見つけ大感激!

ワタシには大きなヨットにしか見えないが、彼にとっては大発見!らしい・・・

なんでもその艇は、CNB建造のBORDEAUX60。

アジアでたった1艇らしい・・・???

それにかなり豪華らしい???

そういえば、エンジ色のマストで横浜で見かけたことを思い出した。

それで、現実に戻りヤマハ23IIに乗り込み、エンジンスタート!
セールもセットし、3時間の大阪湾クルージングに・・・

もう完璧に春です!



     
    2010年3月28日
琵琶湖・マリーナ雄琴のヨットレースに参加
   
   
またまた、琵琶湖のレースに参加してきました。
レースと言っても、マリーナ内の親睦レースです。

どうしてもこの手のクラブレースが好きで、無理を言って参加させてもらっています。

参加艇はいつもの「YAMAHA26IIS」

今回、セールを新調したのですが、ジブセールの修正を行っているためメインセールのみがニューセール。

その上、マストチューニングがまだまだ完璧でないのも問題ですが、そんなことはおかまいなしで、とにかくスタートラインへ・・・。

いつもどおり、ほとんど風のない中のスタート。

スルスルっと前に出るつもりが、艇団と混じったまま・・・抜けだせない・・・

抜けだせないどころか、自艇より小さな艇にさえ置いていかれる???

やっぱ・・・ジブセールが古いせいか???とも考えながら、第1マークを目指す!

第1マークを回航すると、西を目指すか東を目指すかによって運命が大きく異なる。
ここが琵琶湖レースの面白いところ。

まぁ、レース中はいろいろあって・・・結果は秘密です。

でもでも、やっぱりヨットレースって面白いなぁ〜ってつくづく感じました。

琵琶湖・マリーナ雄琴沖にある観測所。
 
     
    2010年3月25日
SeaRay240Sundancerのメイクアップ完成!
   
   

先日から行っていた、A-GlazeマジックによってメイクアップされたSeaRay240サンダンサーは、かなりピッカピッカに仕上がった。

薄いベージュぽっいブラウン色ですが、作業している人間を鏡のように写し出しています。

実はとっくに完成していたのですが・・・
ようやく見学に行く事が出来たのです〜

もともとキレイだったのですが、さすがアインスA!
さらに磨きをかけたんです。

ほんと、残念ながらどんな大きな画像でも、ビフォア、アフターを見極めることが非常に困難です。

ぜひ肉眼で見てもらいたいものです・・・

過去、いろんなコーティングなどがありましたが、
この
A-Glazeは全く手法が違っていています。

おそろしきかな「
A-Glaze」パワーです。

もともとキレイだったハルをさらにキレイに・・・表面はまるで鏡のようです。
 
     

    2010年3月16日
安良里マリーナとデュフォーアルページュ
     
    安良里港
   
    上架されたデュフォー・アルページュ。
   
  デュフォーアルページュの納艇、引渡し日です。

場所は伊豆半島、西伊豆町安良里。


安良里マリーナです。アラリと読みます。
国内でもめずらしい町営マリーナです。

とにかくのどかで静かな港。

この日は強風で駿河湾は荒れていましたが、この安良里の入江は風も波も全く感じられませんでした。

さて、すでに上架された「デュフォー・アルページュ」は船底塗装され、ハルも磨かれ、再度の進水を待っていてくれました。

本来、機走と帆走でテストセーリングを行うのですが、あいにくの強風のため港内での機走のみとなりました。

スロットル全開!微速、前進、後進などなど、全く問題なし!
その港を試運転を兼ねた見学。

岸壁には漁船群が並び、その港の一番奥の造船には、日本で一番知名度の高い(たぶん)画像上の90フィートオーバーのモーターヨットが係留されていました。

     
    2010年3月10日
SeaRay240sundancerとA-Glaze
   
   
磨くといった表現が良いのか、FRPの表面を独自の製剤とテクニックでプロテクトしてしまうというのか、とにかく優れモノ・・・。

新艇には、新艇時の輝きを持続させる、イヤ新艇以上の輝きを与えてしまう手法?工法?である。

さらには、輝きを失ってしまったFRPの再生も行えるのはもちろんのこと。

そのブランド名は「A-Glaze」Made in England 。

まだ、国内では馴染みうすいが、すでにEUでは普及し、ボート、ヨットから飛行機、クルマなどにも採用され、成果を上げていると聞く。

国内では数艇のセーリングクルーザーに採用したが、モータークルーザーへのトライは全くの初めての試み!

この「A-Glaze」にいち早くトライしたのが、SeaRay、Hattrass、Meridian の日本総輸入元の「アインスAリゾート」もちろん日本国内に於いてのリーディングカンパニーである。

次回はこのシーレイ240の仕上がりをレポートします。
と、云うものの、この商品の良さを画像や文章で伝えるのは非常に難しいのですが・・・。



     
    2010年3月4日
スパマリーナ熱海
   
   
熱海温泉のホテル群と道路一本を隔てて親水公園、そして「スパマリーナ熱海」がある。

全保管艇数は100にも満たないが、さまざまなタイプのモータークルーザー、セーリングクルーザーが係留されている。

その親水公園には、梅と早くも桜が開花しはじめ、さすが熱海と感じさせられた。

3月4日は朝からの小雨が降り続けていた。

海から眺める温泉街の大きなリゾートホテルを背景にマストが立ち並んでいる姿は、他ではほとんど見ることができない。

この日は「Beneteau Cripper 331」を見学させてもらった。
ベネトゥシリーズの中では「オセアニス」に位置する。

メインキャビン、バウバースはごく普通のタイプながらスターンバース(クォーターバース)はひとつで大人3人は楽々寝れそうな大きなスペースが印象的。


     
    2010年3月3日
HYDE SAIL のフィッティング/琵琶湖にて
   
     
   
     
    HYDESAILのTOURING(クルージング仕様)は、最近になってちょくちょく見かけるが、このGRAND PRIXは初めてお目にかかったワケだが、その完成度は非常に高いと感じさせられた。

セールデザインはもちろん、ピークやクリュー、バテン部分のディテール処理は、他のメーカーと比較しても全く遜色はない上、丁寧に仕上げられていると思う。

どんなメーカーのセールに対して言えることだが、この手のセールの持つパワーをフルに生かし続けるには、ジブ、メイントリマーとヘルムスマンのレース中の集中力が必要になる。

GRAND PRIXはベストなトリムをし続ければ、必ずそれに応えてくれるセールだと思う。
それほどまでにトリマーのシビアな要望に反応してくれている。

セールデザイン、セールトリムについて、一言で云うのはかなり困難ですが、ヘルムスマンとクルーの技量、タイミング、セールデザイン、トリムの好みなどなど・・・

このHYDE SAIL GRANDPRIXは少し深いめの感がありますが、ワタシの個人的な感覚ではもう少し浅めが好みですが・・・
おそらくレースになると、かなり浅いめにしてしまうかも知れません・・・

と、云いながら・・・次回はサイドにSベンドしたマストチューニングを完璧に完成させないと・・・セール本来の性能が出せないですので・・・

ちなみに、このHYDE SAIL はフィリピン・セブのロフトで200名のスッタフのもとで創られているそうです。

これは思ってもみなかった・・・想像もしなかった(できなかった)ことですが、「フィリピンでセールを創っている」???
それも200名のスタッフで!?

これだと日本のロフトの100倍の規模???
ア・ゼ・ン・です〜

話は変わって・・・ここ最近の東南アジアのセーリング事情はすっかり変化してしまいましたネ〜。
このHYDE SAIL のフィリピンはおろか・・・
中国では青島、上海、大連、北京などのヨット事情は物凄い勢いで増えています。
大連ではすでにBeneteau 40が30艇も帆走り、その他のヨットの種類も多く、その上、近々TP52などのグランプリレーサーも導入されるそうです〜
     
    2010年2月22日
シリーズ「横浜、厨子、葉山、油壺、横須賀」
油壺から横須賀へ!
   
   
油壺から横須賀へは三浦半島を横断することになるが、油壺は相模湾、横須賀は東京湾となり、風景もかなり違ってくる。

火力発電所、ペリー来航地の久里浜を抜けると目的地の「シティマリーナヴェラシス」がある。

マリーナのスケールはさほど大きくはないがビッグサイズのボートがずらりと並んでいる。
その並びの中に、今回、最後に選んだ「バルティック52」。

この時の美人インタープレダーは今回もクルマの中・・・。

52フィートともなると40クラスと比較するとそのボリューム感は全く異なり、異次元の世界が訪れる。

美人インタープレダーの名誉のために云っておくが、CEOとT氏は共に流暢なイングリッシュで会話できるが、CEOとワタシとの会話には彼女の存在が必要なのである。

ワタシを含めた3人とT氏とは駅で別れ、京急に乗り込んだ。
美人インタープレダーは元気を取り戻し、東京の観光マップに見入っていた。



     
    2010年2月22日
シリーズ「横浜、厨子、葉山、油壺、横須賀」
油壺に到着!
   
   
油壺に到着したのは、静かな入り江に係留されたヨットたちに夕日が美しくオレンジ色の光を投げかけはじめた頃だった。

その頃、後部座席の美人インタープレダーはおとなしく眠っていた。

一度は目を覚ましたが、クルマのドアを開けることなく再び眠りについていた。

私はこの油壺には少し思い出がある。

一度は「鳥羽パールレース」のフィニッシュ後にここに舫いをとらせていただいたことがある。

二度めは「全日本ミドルボート選手権」に関西からレースボートをトラックで運び、ここ三崎マリンさんで降ろし、マスト起てから艤装などお世話になった。

レース中も二度に渡るクラッシュでガンネル部分に穴が開き、一晩で修復してもらったりと忘れられない思い出になっている。

ゲート左手の陸上保管の一番前にいきなり「UFO」の船名が飛び込んでくる。
この艇は知る人ぞ知るK氏の愛艇である。

そこから更に進み、「ELAN 31」と「J100」を見学。

どちらも日本では他では見ることが出来ない稀少価値ありの艇。

サイズはたしか28フィートだったか・・・「ELAN」には以前乗船する機会があった。

その艇は厨子マリーナから出航したのをうっすらと覚えているが、かなり昔の話・・・・・「ELAN」はスキー板のメーカーで有名です。母国はスロベニア。

「J-100」は、いわゆるレースボート。欧米では「J24」などと同じようにクラスレースが行われています。

実はJ-BOATSってアメリカで建造されているとばかり思っていましたが、最近の「J」はフランスで建造されていると聞かされ、これにはかなり驚かされました!

T氏とCEOがそれらのヨットを見学中、ワタシは遠い昔を懐かしみながら・・・入江に舫われたヨットと夕日に見とれてしまっていました。



 
     
    2010年2月22日
シリーズ「横浜、厨子、葉山、油壺、横須賀」
横浜から厨子マリーナへ・・・
   
   


そうそう・・・
横浜市ヨットハーバーでは「カタリナ42」。
ベイサイドマリーナでは「J-Boatの36フィート」を見学。


次に目指したのは三浦半島を東から西に横断した「厨子マリーナ」です。
このマリーナは説明するまでもなく日本国内で一番保管料金が高い!とされるマリーナです。
まず、マリーナ周辺の環境が異なります。
リゾートマンション群に囲まれ、相模湾を一望するマリーナなのです。

まさにサザンの歌にある「江ノ島」「えぼし岩」イナムラジェーンの「稲村」も見ることが出来ます。
いわゆる湘南です・・・

ここでは真新しいさの残る「Dufour32」。
まさに新艇同様のヨットです。なにしろギャレーは未使用、エンジンも全くヨゴレなし。
キャビンに入ればまだFRPと木の香りがするほど新しい。
とにかく美しいヨットでした。

そこからは「小坪マリーナ」「葉山マリーナ」「シーボニアマリーナ」などを瞬間的に見学・・・
余計なことかも知れませんが「葉山マリーナ」の隣には「LA MAREE DE CHAYA」があります。

そして目的地の「油壺」へ・・・


     
    2010年2月22日
シリーズ「横浜、厨子、葉山、油壺、横須賀」ヨコハマ
   
   
まるでサイトシーイングな1日でした。

この日は某国のホテルチェーンのCEOさんとインタープレダー(通訳)の美人女性と、いつの日からか親しくおつき合いをして頂いている「ビーインターナショナル」を主宰するT氏にアテンドしていただき、まずは比較的地味な感じの「横浜市民ヨットハーバー」からこの日はスタートした。

そのハーバーのテンダーボート(エンジン付です)にワタシを含めたその4名が乗せて頂き、40フィート艇のポートサイドからライフラインを頼りによじ登った!

見学中はそのテンダーボートは一旦ハーバーに帰り、適当な時間に連絡すれば再度ピックアップに来てくれる。さしずめ海上タクシー的な存在です。

なんてことはない光景なのですが、意外に初めての体験でした。

次に向かったのは、「横浜市民ヨットハーバー」とはほんの近くにあるにも関わらず、まるで正反対の超級のスケールで我々観光客を迎えてくれた「横浜ベイサイドマリーナ」

マリーナそのものは、桟橋があってボートやヨットが係留されているだけでそんなに驚くことはないのですが・・・

ホテルチェーンのCEOさんとインタープレダー(通訳)の美人女性とワタシが話し合った結果、アウトレットモールの隣にマリーナがある、ただそれだけのこと、と、云う結果に終わってしまった。

インタープレダー(通訳)の美人女性はヨットよりアウトレットモールが気になっていたが、後のGINZAでのショッピングをエサにアウトレットモールを諦めさせられていた(:D)

どちらかと云えば、本心、このワタシもヨットよりもモールよりも元町の「FUKUZO」や「Kitamura」葉山の
「La MAREE」が気になっていたんですが・・・

画像は葉山町堀内にある「La Maree 」

 
     
    2010年2月19日
ヤマハ30C/陸路で熊本へ。
   
   
大阪府堺市から熊本まで、陸路で850kmあまり・・・
回航の場合だと、瀬戸内から下関を抜け、福岡を廻り込み、約450マイルの距離。

まぁ瀬戸内の回航も楽しいんですが、まだまだ寒いので、今回は陸路をチョイスしました!

ヤマハ30Cは、名義変更を済ませた後、エンジン整備と機走テスト、船底塗装、ついでにスターンチューブをPSSに交換、その他モロモロの整備を終え、19日の夜から朝にかけて堺をスタートします〜

到着予定は21日の早朝予定です。

PS そして21日早朝、無事に無事に到着!

     
    2010年2月17日
バルティック35/大阪・堺出島港にて。
   
   
昨年末から大阪、堺市出島で「バルティック35」の本格レストアが行われている。

船底、ハル、デッキはもちろん、キャビン内に至っては裏の裏まで・・・
電気系統の配線の交換、はたまたエンジンの換装などなど・・・
ちなみにエンジンはヤンマー2GM/Fからヤンマー3YMに。

完成までにはもう少しの時間が必要になると思うが、とにかく根気と熱意が必要な作業が続いている。

     
    2010年2月14日
パーキンスエンジン・新西宮ヨットハーバーにて。
   
   
新西宮ヨットハーバーに海上係留されたベネトゥファースト41s5に搭載されているのは、英国メイドの「Perkins B30」ディーゼルエンジン。

セーリングクルーザーでは40フィートオーバーの艇に多く使用され、当サイトにアップロードしている「ブルーロバーツ44」もパーキンスエンジン51hp。

このパーキンス社はキャタピラー社の傘下にある。
もちろんディーゼルエンジンではYanmar、Volvoをも凌ぐ世界的トップメーカーである。

そのエンジンの供給先は、戦車から一般産業用エンジン、国内ではトラクターに搭載され、その知名度、信頼度は高い。

現にファースト41s5も20年近く使われてはいるが、この日もちろんなんなく一発で始動し、アイドリングのムラもなく静かに廻り続けていた。

     
    2010年2月6日
大阪府泉佐野・大和屋造船。
   
   
泉佐野漁港にある大和屋造船で「木製ディンギー」を見つけました!

エラそうに「見つけた!」といっても、見た時は何の種類のディンギーかも見当はつきませんでしたが・・・。

「A級ディンギー?」かとも思いましたが、ちょっと違う???
建造された大和屋さんに聞いてみると「ノーフォークディンギー」と答えてくれましたが、理解できず???

木製の鎧張ハルに木製マストとブームの14フィート・・・



追加
Norfolk dinghy
ガンターリグ
イギリス東部のノーフォーク地方の名士が休日にブロード(人工湖)でレースを楽しむ二人乗りのディンギー。そのデザインは基本的に門外不出だが、50年振りのクラブ会長の船の修理の時に手に入れた。
1991年製造。外板はアフリカンマホガニー材のクリンカー張り。
ノーフォークディンギーの特徴である、割り込みのクォーターニー。
だ、そうです・・・
     
    2010年2月4日
大阪府堺市・浜寺ボート。
   
   
ちょっとひさしぶりに大阪・堺市の浜寺ボートさんに行ってきました。
この浜寺ボートさんはワタシが以前ヨットレースをしていた時、レーティング取得時にお世話になったこともあり今でも頭があがりません。

今回の目的はヤマハ30Cの見学。
ハルはピカピカ、キャビンもみごとにリメイクされた美しい艇です。
右画像がそのキャビン。

この艇はヤマハが輸出向けに建造されたらしく、キャビン内のヘッドクリアランスはかなり高く180cm以上の身長でも頭をぶつけることはありません。

そう云えば・・・
Ala Wai HarborのWaikiki Yacht Clubにムアリングされたヤマハ25MKIIを発見した時のことを思い出します。
この25MKIIも輸出されていたそうです。

今から思えば30年くらい前は日本のヨット界にとってはすごく良い時代だったのかも知れませんね〜

     
    2010年1月28日
茨城県水戸市那珂湊マリーナ。
   
 
昨年10月、大阪湾から1週間をかけ水戸市に回航した「ニューポート33」です。

回航途中に低気圧に遭遇し、避難した御前崎港で強風のため岸壁に押し付けられ、フェンダーで保護しているにも関わらず、ガンネル部分の木部を破損させてしまいました。

幸い本来のガンネルには全くダメージはなく、木製部分のみだったのがせめてもの幸いでした。

那珂湊に入港してから、じっくりとそのガンネルが、みごとに蘇りました。

K氏が修復してくれました。そのK氏からの報告。

     
    2010年1月20日〜1月21日
2GMのエンジンテスト。
   
     
   
     
   
     
   
ヤンマー2GMのエンジンテストをやってみました。

いったい2GMエンジンが本当にどれくらいのパワーが出ているのか?

メーカー呼称馬力が果たして正解なのか?

ハタマタ本当にどんな回転数で航行すればそれがベストなのか?

スロットルを目一杯アップさせればどうなるか?

などなど・・・

いろいろな疑問があったのもあって、実際にベンチテストに掛けてみました。

詳細データは公表できませんが、メーカー呼称馬力は使い込まれたエンジンでも充分にパワーを発揮していることは判明されました!

さすがYANMARのディーゼルエンジンです。

さらに、メーカー呼称馬力よりも更にパワーアップに挑戦!

どこをどうチューンナップしたかは秘密ですが・・・

ちょうど3000回転時のテスト風景です。
 
     
    2010年1月6日〜1月17日
四国・香川と岡山・牛窓から下関を経て済州島へ。
   
     
   
     
   
   
1月6日、韓国・済州島に向け2艇のYAMAHA31Sの出航準備がスタートした。

最初の作業はJCIに返納届け、その書類を持って韓国領事館へ・・・

次にその書類を持って、税関に輸出許可の取得・・・
そして税関のインスペクション。
海上保安庁への航行プランの届け出。
おおまかに云えばこれで出国可能になる。

関門海峡を初めて見ることができた。

ウワサどおり狭い!
そんな狭い海峡をくねくねと通り抜けると玄界灘に出る。
実際に下関を離れたのは出国許可を得た1月17日。


話は変わるが、それにしても海上保安庁にはいつもお世話になる。

今回は事故ではないが、航海ルートを事前に知らせただけで、ワザワザ係留場所まで香川から下関までの安全なルートの指示してくれた。

また、艇の写真を撮り航行先の保安庁に連絡をしてくれるという、至れり尽せりの親切。
六管さん七管さんに感謝。

そして1月19日、全くのノントラブルで済州島に無事到着。


     

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